ZANG TUMMM TUMB ARTICLES “the first draft of history”

インタヴューフランスにもZTTにも安住できないアン・ピガールの異邦人感覚

やらしいかもしんないけど、何も胡いことはないぎ」

R「初体験とかって、やっはり物凌く大きな体験じゃないか。すごく漆い感情抽なものだろ。正直な話、そういう環をきいた太がフイルランドのテロの歌よりじんと来るを。俺はそういうのを書きたいね」

C「要は、俺達が汚いとか汚くないとかいう

来日時に、いくつかのTV番組で、完全に娠きまくっていた彼女の姿を見た人も多いと思う。我の強い女どだ、と思った人もいるかもしたれない。そういった彼女のキャラクターはインタザユーからん感じられると思う。だがこれまではそんな彼女のキャラクターは、それ以上に我の強いZTTの陰に隠れていた。そういった意味でも次作が勝負になるのではないか。単なるわがまま女と烙印を押される問題以前に、もっと大きな視点でみなきや嘘だね。俺のやってることに文句をつける人間がいるのは全然かまわない。俺達は民主主義のアメリカに住んでるんだ、堂々と法廷で話をしようじゃないか?俺達がワルい音楽の一派だからって裁かれていい筈がない。検閲はナチス・ドイツへの第一歩だ、慎重にならなきゃいけないと思うね。このイカれた状態のか、それとも確固たる信念をもったミュージシャンと称護されるのか。

十代半ばでイギリスに渡ったそうですが、異国で生きることが自分のアイデンティティの一部になっているという事はありますか。

「ロンドンに移り住んたのは20才の時だけど、15、16の頃にはじめてイギリスに行ってから足しげく訪れたから、たしかにね。でも、今が進むと、やがては独裁政府になっちまう」

ところでラウドネスとの共演はどうでしたか。

B「最高だったよ。彼らは俺達にテクノロジーとヅュードーを教えてくれて、おかえしに俺達はアィリカ式パーティのやり方を教えてやったのさ」

でも完全には適応できないわよ。距離的には近いけど、全く違う国だもの。はじめに行った時は殆ど英語が喋れなかったから、言葉を覚えて、イギリス人のものの見方を学びとるまでに時間がかかったわ。イギリス人てのはちょっと島国根性的なところがあって……」

「なにしろ最初は、イギリスのブレスなんで私がフランス人だって事さえ信じなかったのよ。みんな私のこと、フランスっぼいァク七ントを真似てフランス人のふりしてる、やたイギリス女だと思ってたんだから。本当にフランス人がわざわざイギリスにやって末て歌手になったなんて、とても信じられなかったらしいん。私がはじめてなんですってよ、イギリスのレーベルとはじめから契約したフランス人は」

゙ヒー!ストレンジャー゙にみられる異孝人感覚ともいうべきものは、貴女の体験に基づいているのでしょうか。

「あの歌は、それほど外国に住んでどうこうという意味はなくて、むしろ自分の中にある 疎外感みたいなものに近いんだけれどね。勿論、イギリスに住んでるフランス人としての私という点での疎外感もあるけど、フランスにいた小さな頃から、どうも周囲にそぐわない感じが自分の中にはあったの。はじめ、それは何かハンディキャップのようなものに感じていたわ。でもそのうち、これは私の特質なんだ、これを活かして私は普通の人より面白い事ができるんじゃないかって気付いたのよ」

話はかわりますが、ァート・ォブ・ノイズはぬけるしホリー・ジョンソンはFGTHをやめたがっているしで、ZTTはかなりのお家騒動に直面してるようですけど……。

「その通りよ(一同爆笑)。私もたぶん、ぬける事になると思うわ」

それは何故また?

「やめる人間の理由は同じ、ただーつよ。ZTTってのは結局ポール・モーリーとトレべー・ホーンとトレべー・ホーンの奥さんていう三人が、いまだにレコード契約したことのない新人を引き込んじゃ割の悪い契約をとりつける、っていう会社でしょ。フランキーにしたって、ZTTと契約する前から存在してたのよ。契約前に、彼らがTVで゙リラックズを演ってるのを私、見たわ。で、ZTTと契約して、売れて、その誉れを一身に受けるのはトレべー・ホーンでしょ。あんまりフェアなレコード会社ではないわよね。私だってそうよ、私が全部曲を書いてアイデアを出し